魔法のマネジメント3 of ㈱インサイト経営

株式会社インサイト経営

魔法トップ.png

第3話 営業一年生 

 4月下旬になると風太は東京営業所に配属された。この会社の営業スタイルは全て飛び込み訪問からのスタートだった。風太はコンスタントに1日に30~40件の法人企業をノンアポで訪問した。同期のなかではダントツの訪問数であったが、営業は辛く厳しいものだった。

 初めは社会人としての会話もろくにできず、会社案内さえまともにできなかった。中には、飛び込み営業を迷惑がってどなり散らす人もいた。入社前からこの世界が厳しいことは想像していたが、ここまで人間に冷たく応対されるとは夢にも思わなかった。顧客リストも整理されているものはなかったので、ほとんどがカンバンを見つけ、その場で訪問するというやり方だった。

 先輩に「今日は銀座一丁目にある会社を全部訪問してこい」と言われたこともあった。同期の中にはヤクザが経営する会社に訪問してしまい、怖い思いをした経験を熱心に語るものもいた。

 新人は、すぐにコンサルティングの販売はできないので、書籍やセミナーの販売を切り口に案内していくのが常道だった。ただ、当時は就職バブルを象徴した商品(内定者向けの通信教育講座)が流行していたため、風太をはじめ1年生は全員この商品の販売に全てを費やした。そのため、アプローチする窓口は人事部だった。

 面談者は人事担当者か、せいぜい課長クラスまでで、毎日、通信教育の案内から社員研修の案内までを行う営業活動に明け暮れた。しばらくするとコンサルタント会社に入った動機など忘れてしまっていた。ただ、書籍や通信教育の販売見込みに一喜一憂し、コンサルティングとはほとんど無縁になってしまった。

Doticon_grn_Comment.png解説


 同世代の受付女性に軽くあしらわれ、担当者には冷たく断られる日々が続く・・・。1日に数回は野良犬のように追っぱらわれる。程度の差こそあれ、こんなレベルの営業活動が3年間続くことになる。この頃は「チキショー!いつか見返してやる」と心の中でつぶやくことが多かった。

飛び込み営業について

 営業としての足腰を強くするための訓練として、初期段階でのある期間において、飛び込み営業は必要かもしれない。しかし、無計画な営業を続けていると頭で考えない人が多くなる。風太も何も考えずにガムシャラにドアをノックしていた。

 そして、顧客情報を消化しきれず、継続訪問をすることが困難になっていった。実は慣れてしまえば、飛び込み訪問は楽なのだ。むしろ、アポイント訪問や継続訪問の方が事前準備や提案が必要になり、より難しいことなのだ。

 マネジャーは訪問件数などで単純に管理するのではなく、提案するための材料を与えたり、継続訪問できる会社の状況判断を一緒に行ったりすることが重要だ。

 多くの営業は楽な方に流れていき、「リストは回ったが受注はありません」という報告を聞くことになる。砂漠に水を撒いているようなスタイルの営業マンは非常に多く存在する。

顧客管理や顧客リストについて

当時、重点ターゲットやエリア管理、顧客管理という概念は会社にはなかった。コンサルタント会社なのに・・・なぜ?と疑問をもたれた方も多いと思うが、詳細は今後解説していきます。非常に重要なテーマです。

人材育成のステップ

 内定者向けの通信教育をメイン商品にして、人事部へのアプローチを行い研修窓口開拓を行う。そして、研修受注へとつなげて行く。当時の営業トップが考えた新入社員育成のシナリオだったが、見事に失敗した。ほぼ全員が通信教育売りになってしまった。

  当時、新人はコンサルティング受注など期待されていなかった。通信教育の販売額で評価されるため、その商品での見込みが高そうな企業へ活動が集中した。研修受注の見込みのない企業でも、通信教育が売れればそれで良かったのだ。

 会社としては手段だったが、営業マンにとっては目的の全てになってしまった。営業の世界では手段と目的が置き換わってしまっている人をよく見受ける。手段を目的化してしまった時点で、本質を見失ってしまい隘路に陥ってしまう。
もちろん、研修も手段のひとつでしかない。