魔法のマネジメント2 of ㈱インサイト経営

株式会社インサイト経営

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第2話 ~フレッシュ 社会人~ 

 風太の東京での新しい生活が始まった。
東京暮らしと言っても、アパートは所沢だった。会社は新宿にあるため、通勤に片道1時間強かかった。地方出身者の風太には、通勤ラッシュのものすごさには閉口した。
入社後しばらくして、混雑を回避するため5:00には起床し早めの電車で通うようにした。この習慣は転勤になるまでの約8ヶ月間続いた。

 風太の入社したコンサルタント会社は、当時30年以上の歴史を持ち、日本系のコンサルタント会社としては草分け的な存在であった。この会社でのキャリアルートは、新卒採用での入社の場合、まずは営業職としての経験を7~8年積み、その後、経営コンサルタントやマネジメント職へのコースを選択していくというのが通常であった。

風太も営業職として採用され、同期入社の営業職は風太を含め8名いた。風太以外のほぼ全員が「将来は経営コンサルタントになりたい」という志望動機であった。

 初期教育は、さすがにコンサルタント会社らしく、それなりに厳しいものだった。新入社員研修は約1ヶ月間あり、前半2週間で「ビジネスマナーや業務知識」、後半2週間で「営業職としての基本」を学んだ。4月末には各営業所へ配属され、その後も1ヶ月間は毎日夕方から先輩社員によるロールプレイング指導が繰り返し行われた。

この当時は夕方7:00に帰社し、自宅に帰り着くのは夜9:00頃だった。同期と飲み会で寄り道すれば、11:00をまわることも多かった。学生時代から比べると、自分の時間がずいぶん少なくなったことを痛感した。

 この頃の風太は地方出身であることのハンディキャップを感じていた。東京ではあたりまえの常識に疎いのだ。例えば、レストランであれば「デニ-ズ」や「ジョナサン」などを全く知らなかった。

コンサルタント会社の営業としては「知らない」では済まされないことも多かった。そのため、先輩や同僚からもずいぶんからかわれたものだった。

Doticon_grn_Comment.png解説


いよいよ、東京での生活をスタートした風太だったが、生活に慣れるだけでも結構大変だった。通勤、言葉、地理、近くに友人・知人がいないなど生活スタイルが一変した。ビジネスに必要な知識や技術も膨大にあり、課題図書やレポート提出も結構あった。かなり苦労はしたが、持ち前のガンバリズムで同期に負けることなくこの時期は乗り切ることができた。

◎コンサルティング業界について

コンサルタント会社の分類には、外資系&日本系、個人&組織、戦略系&オペレーション系など、いろいろな区分けをされている。シンクタンク系が業界に入ってくる分類の仕方も多い。

業界をご存知ない方のために、
簡単に業界概要を説明すると以下のとおりになる。

・外資系
戦略策定などのプロジェクト型のものが多い。
顧客のほとんどが大手企業

・日本系
大手企業では社員教育に関する受注が多い。
コンサルティング顧客については中小企業がほとんど。

・会計系
会計事務所からコンサルティングへ事業拡大したタイプ

・システム系
コンピュータソフト開発からコンサルティングへ事業拡大したタイプ。

上記区分は必ずしも正確ではないが、概ねこんな感じになる。
シンクタンク系は一部コンサル事業に携わっている会社もあるが、
別業界と捕らえた方がよいと思う。

風太は日本系のコンサルタント会社に勤めた。営業で直接競合するのは、同じ日本系のコンサルタント会社が多かった。

◎ビジネス基本マナーの重要性

風太の会社は基本教育を徹底していた。挨拶、身だしなみ、名刺交換、電話応対、文書の書き方など細かく指導を受けた。この時期に身に付けたビジネスマナーはどこに行っても通用する。

後年、風太は会社を去ることになるが、この点においては会社に感謝することになる。
時々、名刺交換をした際、名刺を相手に対し反対に向けて差し出してくる人に出会い、
びっくりすることがある。

中には部長という肩書きでそんなことをする人もいた。それなりに社会経験を積んでいる人に「名刺の出し方が逆ですよ」と注意・アドバイスしてくれる奇特な人はいない。
かわいそうだが、この人はこれからもずっと名刺を出すたびに自分の知らないところで、恥をかき、足元を見られてしまうのだろう。同時に会社のレベルも見透かされてしまう。

新人のなかには、個人の価値観に固執して、何度も注意されているのになかなか直さない人も多い。マネジャーや先輩が妥協することなく、何十回でも注意し直させることが重要だ。入社後、数ヶ月放置すればもう手遅れになる。

◎地方出身者のハンディキャップ

風太の場合は、本人の問題(無知)も結構あった。しかし、関東に住んでいる同期に比
べ圧倒的に情報不足を感じたのも事実だった。
しかし、ビジネスにおける永い競争のなかでは、たいした問題ではなかった。