魔法のマネジメント1 of ㈱インサイト経営

株式会社インサイト経営

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第1話 ~プロローグ~ 

 1991年3月、松山風太(ふうた)は九州の私立大学を卒業し、東京に本社がある経営コンサルタント会社に就職した。後にバブル社員といわれた超売り手市場時代の入社である。企業からの内定が3,4つは当たり前、中には15の内定をもらっているという強者もいた。まさに就職バブルだった。

 風太は昭和42年(1967)温泉で有名な別府で生まれた。地元の高校を卒業し、福岡の大学へと進学した。高校・大学を通じてはテニスに熱中し、全国大会にも出場した。地元ではなかなか1番にはなれなかったが、それでもトップクラスにいたため、常にグループにおけるリーダーシップは発揮できていた。

 学生時代は大きな挫折もなく順調であったが、大学ではもっぱらテニス漬けの毎日で、授業にはほとんど行かず1年間留年してしまった。大学は九州ではマンモス校だったので、「かつての同級生が先輩になるのはいやだ」と考えた風太は東京での就職を選んだ。そして、将来は事業を起こし、経営者になりたいという夢を持っていた風太が選択したのは経営コンサルティング業界だった。理由は「多くの経営者に会えるだろう」「コンサルタントから経営のノウハウが習得できるだろう」と考えたからだ。

 風太は「社会への巣立ち」と「東京に出ていくこと」にはなんの不安も感じていなかった。自分はどこに行ってもそれなりにやっていけるという妙な自信を持っていた。自信のバックボーンは、「体育会系の厳しい上下関係を乗り越えたこと」「スポーツを通して強くなるための方程式をつかんだこと」「組織におけるリーダーシップ発揮のための一翼を担えたこと」であった。

 そして、3月27日東京への片道切符をポケットに入れ風太は社会へと旅立った。

 夢と希望を胸に抱いて。

Doticon_grn_Comment.png解説


あえて、主人公である風太の学生時代に触れた。学生時代の風太は、体育会という上下関係の厳しい世界も経験し、ひとつのこと(スポ-ツ)に打ち込むことにより、それなりの自信を身につけていた。会社に入ってからも、培ったガンバリズムで何とかなると思っていた。しかし、それだけでは深く永いビジネスの世界では全く通用しなかった。

◎風太がスポーツを通じてつかんだ勝つための方程式とは?

「上手くなる」と「強くなる」は全く意味が違う。
上手くなるのは比較的容易だ。指導者のアドバイスに従い、努力と練習を積めばいい。しかし、その日の調子に左右されることが多く、それだけではトーナメント戦では勝ち続けることができない。特に、プレッシャーのかかる「ここ一番」に弱い。

強くなるためには自分なりのスタイル「勝ちパターン」を創ることが必要だ。
もし、負けても、スタイルと結果を検証することで敗因が明確になる。
そして、次に勝つための要素を徹底的に練習すればいい。

上手くても勝てない者は、「今日は調子が悪かったから負けた」ということになる。
強い者は調子が悪い時、自分の原点「勝ちパターン」に徹することで立ち直れる。

◎社会に出る前に準備しておくこと

ビジネスの世界で評価される人間に共通することは、借り物でない「自分の言葉で話している」ことだ。
必ずと言っていい程、自分なりの哲学・信念を持っている。ものごとに徹底的に挑戦することで、壁にぶつかり自己との葛藤がはじまる。
それを乗り越えた時に、初めて自分なりの方法が見えてくる。

学生時代に、何でもいいから徹底的にやってみることだ。
誤解を恐れずに言えば、間違っていてもいいから「自分なりの勝ちパターン」を築いておくことが肝要だ。

これを持っていないと、せっかくの魔法も効かないし、魔法使いに気づくこともない。